ロハスな秋谷生活

三浦半島、秋谷の地、豊かな相模湾に抱かれ、豊穣な大地の恵みに感謝し、地元の美味しい食材、日々の花々の移ろいなど ロハスな生活情報をお届けします

ひな祭り

 

とは言っても、私の両親はそんなことに全く無関心であったし、私自身も男の子ばっかりだったのでとても意識が薄い。もちろん、実家では「ひな祭り」どころか、誕生日の意識も低かったような気がする。特別なことはなかった。私の誕生日は2月だったので、たまに母はぜんざいを作ってくれたこともある。母親は忘れていない物だ。
 結婚して、姑と私の誕生日が1日違いだったので一緒に誕生祝いができるねと言った。しかし、私の誕生日だからって、毎日のように家族の食事を準備して・・・・仕事を持っていた私にはそれだけで精一杯だった。特別にごちそうをする気にもならなかった。
 もちろん、子供の誕生日は、きちんと意識していたが、大人の誕生日は、と、今までの習慣でたいしてこだわらなかった。誕生日が過ぎたとき、姑から「私の誕生日だったのに」と言われてびっくりした。それ以来、姑の誕生日にもちょっと心配りをしていた。

 と言うわけで、今年も誕生日は来て、過ぎた。いつものような生活の中で、ふと夫が「誕生日おめさてでとう」と言った。この歳になると誕生日が来て年をとるのはあまり嬉しくもない。それより1日1日を無事に過ごせることがありがたい。
 今年はひな祭りのイベントに一切参加しないで冬眠している。別宅に行っているということで。紙芝居は今度別のところでやることにして、手巻き寿司も予定されている。子供達相手に手巻き寿司とはどんなに心配りが必要だろうか。それをいつもやってくださる人がいるので、ひたすら感心している。欠席して申し訳ない。今度我が家で巻き寿司を作ることにしよう。

 マーゴちゃん達か来たときにそれも良いな。キュウリ1本ウィンナ1本でも、自分で巻いて食べるのは。そのコツを知っている人、教えてくださいm(_ _)m

 さて今夜は散らし寿司か手巻き寿司を考えていたのだが、自分の体調との相談もあり、買い物に行ったらホカホカの焼き鯖を売っていたので、買ってきた。鯖1匹を頭から尾まで串を通して丸焼きするのだ。これには思い出がある。「くいだおれの街」に住んでいた小太郎のお嫁さんが、結婚前に遊びに来たとき、一人で一匹をとてもきれいに食べきったのに感心した。
 あのとき、夏の暑さで川が干あがって、魚がぴんぴんはねているからそれを捕まえようと言ったのは、今でも笑える。川にはやっぱり水が流れていたのだった。